生ゴミ処理機の登場は、二十年来の大都会のゴミの捨て場所の枯渇で、何せゴミの減量!減量!との行政の大命題の中で、十年前頃よりコンポスト型(土中に瓶状のもを埋め、生ゴミと各種酵素・菌を入れ堆肥を作る)の発展型としての堆肥型生ゴミ処理機が登場した。 主に各自治体が、学校給食から出た生ゴミをリサイクルしようとするモデル事業の中で、この堆肥型生ゴミ処理機を使用し始めたのが原点ではなかろうか。
大手メーカーとして、日立・ヤンマーなどが先行して、東京で云えば、世田谷・北区などが堆肥型実機としてかなりの台数で導入された。そのシステムは近県の農村自治体とタイアップして、処理機で産出した堆肥(真の意味での堆肥ではなく、堆肥前物と言おうか堆肥の原料)を農村へ送り、その堆肥で育った作物を都会の学校給食に供給し、まさに生ゴミとゆう厄介者をリサイクルの和に組み込み、有価物として有効利用しようとする、画期的試みを始めた。(あえて、この場では画期的試みとしておこう)

 時流として、全国の自治体が一斉に予算を付けたこともあり、当時大手家電メーカー・装置メーカーは、ほとんどがこの生ゴミ処理機に参入、自社の販売網へヤッツケ的に機器の供給(品揃え)を行った。自治体や国の購入はあくまでも公共事業的購入で、処理機の性能や実力を度外視した、すみ分け配分的な導入となった。結果(生処理機業界の不幸の始まり)、非常に完成度の低いプロトタイプを供給することとなり、このことは製造販売側・使用者側にも禍根を残すこととなった。

 また、一方の流れとして、中小のメーカーが星の数ほど参入、一種の発明・考案・開発と云った風に登場、その中で消滅型・完全消滅型と云った言い回しの機器が出現した。イーキューブもその流れをくむものであるが、完全消滅という一種詐欺的な言葉さえ、堂々国の仕様書につい二、三年前まで載っていた程である。完全消滅とは物理の大法則(物質・エネルギー不滅の法則)に依らなくても、どうしても無理がある。しかし、堆肥型を消滅型問わず、世間の要求としての生ゴミ処理機の需要は、各方式の製品としての完成を待つ前にやって来た。この生ゴミ処理機の性能と需要のギャップは今でも引き続いている。しかし、この業界の悲劇はそこそこあった需要がクロスして全くお寒くなってしまったことだ。元々生ゴミ処理機の需要のパイは小さかったが、しかし、生ゴミ処理機として真にちゃんとした製品、お金をもらえる製品にこの業界がしていれば、恐らく今の数倍の需要が創出していたかもしれない。

 今日でも、工業新聞には毎日のように新型をうたった生ゴミ処理機の発売がある、何々株式会社の何々社長は年間○○台の生産を目標にと、いくら世の中不況といえ向こう見ずだと思う。今までとうとう生ゴミ処理機業界の駄目さ加減を言ってきた様に思うが、さて、我がイーキューブはといえば。「生ゴミを水にする」を一筋に何となく胸を張れずにコツコツとやってきた次第。  そのわけは追々と。